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zoom RSS 政治がつねに軍隊をコントロールする、シビリアンコントロールの必要性

<<   作成日時 : 2015/03/13 06:02   >>

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運動部の部室にかかげられた「文武両道」の額縁の生まれた背景」について

 易姓革命から自身を保護する必要から、支那の皇帝は人格形成につとめ、徳をたくわえて、国家を徳治しなければならなかった。配下の文武百官も文を優先し、武を従属させながら修養につとめた。文武両道は文が優先で、武は従属していた。
 まったくおなじように、天帝に代わりに神様や法王が王様を任命する仕組みはヨーロッパにも生まれた。ヨーロッパはもともとローマの植民地として発展し、宗主国のローマがキリスト教に教化されて、神聖ローマ帝国を名乗った結果、自立した植民地の支配者たちは教会に認知されて王権を取得した。王権神授説の骨格だな。
 支那もヨーロッパも正義のみなもとは神様にあって、それに逆らえば王様であろうとも殺される。じっさいに歴史のなかで、それはくりかえされてきた。防ぐ手立てとして武備をかためても、その軍隊や警察が反乱の中核になり、成功すれば革命軍になる。両刃の剣だな。
 したがって政治はつねに軍隊をコントロール下におかねばならない。実力で、それはかなわないから、規律や法律でそれを定める。シビリアンコントロールの必要性だ。支那の徳治主義の変形といってもいい。軍隊が政治の了解を得ないで、勝手に行動するのを防いでいる。

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日本の武は神格化された天皇と一体だから、武力は天皇の分身である。
「政治がつねに軍隊をコントロールする、シビリアンコントロールの必要性」について  ところが日本の場合、事情がまったくちがう。最初の王朝建設のところまで、リーダーがみずから刀を振るって戦って、正義の戦いを勝ち抜いたのはおなじで、だからこそ武力の正当性を主張し、その功績を子孫がたたえ、その血筋を子孫の統治権の理由とした。そして、その後の王朝交代がなかったので、革命思想が生まれることがなかった。徳治主義は理念として受けいれられたが、武が文にコントロールされる必要はなかった。武は天皇のそなえた... ...続きを見る
罵愚と話そう「日本からの発言」
2015/03/13 11:23

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