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「戦後民主主義は民主主義じゃぁない!!」について 衣食が足りれば、礼節は思い出せると、必死の思いで手に入れた飽食の時代だった。追いつき追い越した高度成長経済で、ジャパンアズNo1の希望と自信も勝ちとった。ところが、それもつかの間、毎日のように起きる、理不尽な事件をながめながら、いまさらのように「どこで間違えてしまったのだろうか?」と自問自答している。衣食が足りても、礼節はそれに反比例して、どこかに消えてしまったような今日だ。 ケネディの有名な演説に「国家が諸君になにをしてくれるかを問う前に、諸君が諸君の国家になにをなすべきか…」の一説があるが、あのときのケネディと、聴衆としての諸君と、その祖国としてのアメリカと呼ぶ国家の三者のあいだには、あらためて説明する必要もないほども明確な前提としての国家理念があった。それは、アメリカの建国神話としてあらわれ、国家のバックボーンとして歴史をつらぬくアメリカの国家理念としての自由な民主主義だ。フランス革命以来の人類の理念と重複するそれは、人類が共有するグローバルスタンダードだともいえる。メイフラワー号以来移入しつづけた移民をうけいれる唯一の条件は、その価値観の共有だった。つまり、アメリカ人の礼節はピューリタンの礼節とぴったりと一致していて、カソリックのケネディであろうとも、あらためてそれを説明する必要はないものであった。 そこのところなんだな。われわれ日本人は礼節のバックボーンとなる倫理を失っているから、衣食足りても思い出す礼節がないのだ。国家倫理とか理念と呼ぶようなものを失っているから、思い出せないのだろう。 古い時代、軍人勅諭と呼ぶ文章があって「ひとつ軍人は礼節を重んずべし」と書いてあった。兵隊さんの礼節って、民間人の礼節とどうちがうのか、よくわからないが、この時代の日本人にはそれがよくわかっていたのだろう。軍人勅諭をおしえる隊長さんと、教わる新兵が「礼節を重んずべし」を読んだときに、おなじイメージが共有できる条件としての、倫理、理念、価値観が共有されていた。旧日本軍の兵隊さんに求められた礼節と、ケネディがアメリカの若者たちに求めたものと、衣食が足りて知る礼節と、無差別殺人犯が見失ったなにものかが同一のものだとは思わないが、それらの話題の根底には話す側と聞く側が共有する倫理観、理念、価値観の共有が前提になっているのは、まちがいがないと思う。戦争に負けて軍隊がなくなってしまって、日本人は礼節を強要されない社会をつくってきた。同時に、とんでもない貧乏のどん底に突き落とされてしまったのだから、さし当たって飢餓から脱出しなければならなかった。必死になって、働きながら、衣食が足りれば礼節は復活すると信じてきた。 そしてむかえた飽食の時代。われわれ年金世代の期待は、みごとにうちくだかれた。社保庁の裏切りは、まだ許せる。あれは役人の組織犯罪だ。お役人も衣食が不足して、礼節を忘れていたのだろう。これからゆっくり思い出せばいい。しかし、困ったことに、われわれ老人世代は、いつの間にかアルツハイマーが進行して、礼節の背景となる倫理、理念、国家観を失念しているのだ。老人が忘れているものを、若者が知るはずがない。記憶細胞からは消えても、習慣が身体にしみこんでいる世代はまだいい。どちらとも無縁な世代の日本人によって、理不尽な事件が、毎日量産されている。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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大東亜戦争の結末・平和大国日本のふたつめの敗戦
「真日本主義・衣食足りても礼節を思い出せない。」について 日本占領軍司令官のマッカーサーは、ふるいタイプの軍人だから、上陸時点でのかれの考えていた占領政策の基本はリメンバー・パールハーバー≠セったと思う。東京裁判だって、19世紀以前の国際法にのっとって奇襲作戦をくわだてた責任者と実行した責任者を処刑すれば、それ以上の政治的思惑なんてなかった。本国からの指令と幕僚たち…たとえば民政部のホイットニーの影響をうけて、しだいに政治的になり、歴史的実験に手を染めていった。 ワシントンでは大西... ...続きを見る |
罵愚と話そう「日本からの発言」 2008/07/30 14:34 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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別に個人が間違っていたという話でもないかとは思いますが、しかし言わんとしていることが若年層のていたらくが今の社会を形作っているのだとしたらそれはお門違いではなかろうかと思いますが。 |
とおりすがり 2008/07/29 22:31 |
現象は若年層に集中して表面化しているが、倫理観や国家観、歴史観の喪失は年金世代がスタートラインだ。2代、3代と越前くらげのような日本人が増殖して、ある日突然大崩壊がはじまる。 |
罵愚 2008/07/30 04:09 |
私の認識は明治の人は偉い。けれど、大正デモクラシー、そして昭和。大人たちは、どこかで間違え、尊敬できる人ばかりではなくなった、ように思えます。高齢者の万引きなど余りに多く、貧しいからばかりではないように思います。理想も目標も失い、自分を大切にしていないように思います。損得、欲ばかりの世の中は、驚くことが多すぎます。国家観、人間の尊厳の欠如の代償は、大きすぎますね。 |
秋桜 2008/07/31 19:16 |
>倫理観や国家観、歴史観の喪失 |
とおりすがり 2008/08/01 00:00 |
餓死者の出る社会に自殺者はすくないといいます。自殺防止を目的に、貧困社会を形成するわけにはいきませんが、無目的、価値観を喪失した飽食時代の現在の日本は、かつての人類史に類例のない社会を実験している。 |
罵愚 2008/08/01 03:04 |
結局、バブル全盛期に『呑めや唄えや』で過ごしてきた前世代者達の代償を今の日本が背負っているだけだろう。 |
通行人 2010/01/11 05:54 |
ものごころついたときが朝鮮特需のまっさかりで、必死の思いで高度成長期やバブルを泳いできた年代からみると、どっちが身勝手なんだろうか?の疑問がわく。 |
罵愚 2010/01/11 15:54 |
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