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「田原総一郎氏の中国論評」について 民主主義の根底をつくるのは人権思想だ。個人に基本的人権があるから、地域社会は地方分権を、マイノリティーは自決権を主張する。外形からの判断は…その国が民主主義国家なのか、一党独裁の専制国家なのかの基準は、その統治政権が国民選挙で選ばれたかどうかだ。そして、それが自由選挙だったかどうかの判断基準は、報道の自由が確保されているかどうかだろう。自由主義国で活動する言論人なら、自分の職業に対するプライドの根源は、ここに求める。自分の報道記事が、民主主義を支えている屋台骨の自負が、かれらのエネルギーになるのだろう。 話題の田原総一朗だが「チベット亡命政府の発表によると140人、中国側の発表によると20人と、大きな隔たりがある」と、支那に報道の自由がなく、真実がゆがめられている現実を、明瞭に認識して公言している。まともな言論人なら、この一事をもって、いまの支那には自由も民主主義も人権もないと言い切る。田原総一朗が、あれこれと、こざかしく言いつくろうのは、それなりの理由があってのことで、それがどういう理由なのかは、おおかたの想像がつく。ブログと呼ぶ言論空間は無責任な想像が許されるところだから、それを楽しむのも一興なんだが、性急に言いたてなくても、いずれ尻尾を出す化け物だと思う。 チベットが誤報されていて、その原因が、支那の経済成長に対するジェラシーだとか、自国に内在する差別を隠蔽する工作だとか、これって、戦後左翼が常用する「おまえだって、やったじゃぁないか」の論理だ。国際世論にしろ、国内の世論のしろ、どこをみてもチベット問題に対する圧倒的な反応は、そんなものではない。純粋にチベット族に対する同情と、人道犯罪に対する憎悪だ。こんなに明瞭で単純な事実を、こざかしげに言いつくろう人物が、あたかも一流のジャーナリストしてもてはやされている。 ある意味で、これが、日本の民主主義の現在のレベルだ。チベットや支那に同情ばかりはしていられない。自分たちの足元が照らされているのかもしれない。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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TBありがとうございます。 |
shinoper 2008/04/17 13:55 |
こんばんは、TBありがとうございました。 |
春美 2008/04/17 22:19 |
遅くなりましたがTBありがとうございます。 |
tesa 2008/04/18 17:29 |
こんばんわ |
kazu2002 2008/04/19 18:20 |
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