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「亡国指導をする教員たち(怒)」について それは教育ではなくてしつけ≠フ範疇ではないのだろうか?朝、となりのおじさんにあったら「おはよう」を言う。学校の帰りには、先生に「さようなら」の挨拶をする。それって、教育というよりは、しつけでしょう。 日の丸掲揚や君が代斉唱のときは起立して正対する。日の丸・君が代にかぎらず、外国の国旗や国家に対しても、同様の表敬を身につけるのが国際化の第一歩だ。 ある日本の青年海外協力隊員が、発展途上国のセレモニーで国歌斉唱のときに、いすに座ったままだったので、いらぬトラブルを起こしたことがある。かれに悪意があったわけではない。しつけが、されてこなかっただけの話しだ。 はしの使い方を知らぬ母親に育てられた子供は、社会に出て赤恥をかく。国旗・国歌に表敬できない子供は、国際社会に出て赤恥をかく。はしを使えない母親や、日の丸・君が代を好きになれない教師たちは、それがどういうものかがわからないのだろう。 ちょっと昔話をさせていただくと、わたしのような戦後教育をうけた第一世代の場合、教える教師にも戸惑いがあった。朝礼や集会で教室から出て、校庭に整列するまでは分列行進をさせられた。軍隊を体験している教師には、それが教育でもしつけでもない、ごく自然であたりまえの集団行動だったのだと思う。 第一世代の職員室には、流行のマルキシズムで組合活動を扇動する教師と、それに違和感を感じる…つまり、戦争には負けたが、あれは国力の差が勝敗につながったのであって、まるきし日本が悪い戦争を引き起こしたわけではない、という歴史観をもつ教師も、すくなからずいたのも事実だ。 単一の価値観を強制された集団は原理主義に主導される。その価値観が政治思想だろうと宗教だろうとおなじ現象がおきる。戦後民主主義に主導された教育現場は、原理主義的な民主主義に汚染されて戦後民主主義に占領されてしまった。支那の文化大革命に似ている。 はしを使えない母親が祖母になり、曾祖母になるころには、昔の日本は、スプーンやフォークを買えない貧乏な国だったので、棒切れをひろってきて食事したと教育≠ウれるのだろうか。笑い話ではない。スローガンの部分では「国際化」や「国際人」を目指しながら、自国の国旗や国歌に表敬できない子供を育てる教育者とは、はしを使えない母親と同質だろう。子供には罪はない。最大の被害者だ。二代、三代とつづくあいだに被害者と加害者の同居状態が、さらに深刻化する。この国を嫌悪する教師は、加害者なのか、被害者なのか。 日本≠ノ違和感をだく日本人…わたしはこれを「在日日本人」と呼ぶんだが、日の丸・君が代に嫌悪感をもつ在日日本人の再生産がすすんでいる。門真の第三中の教師や、沖縄ノート訴訟で論点ぼかしの偏向判決を出した深見敏正判事などは、第二世代、第三世代の在日日本人だと呼べる。原理主義的な反日感情をもつ在日日本人の処遇を考える時期だと思う。 |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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『日暮し雑記」 3/29(土)
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酔語酔吟 夢がたり 2008/03/30 07:55 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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罵愚さん、お久しぶりです。 |
米流時評 ysbee 2008/03/30 13:24 |
こんにちは! |
一般人 2008/03/30 14:26 |
(続きです。) |
一般人 2008/03/30 14:26 |
罵愚さん、初めまして。 |
一知半解男 2008/05/31 18:25 |
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