支那女に仕分けられる祖国・日本

政権発足100日を待たずして、」について
 京都では、引っ越してきて十年も二十年もたつのに、隣人たちからはお客様扱いされるという話を聞いたことがある。三代前から定着していないと江戸っ子とは呼ばれないともいう。住人たちにとっては闖入者への違和感があるのだろう。ちょっとちがうが、芸人にはオカマがおおい。若いタレントで、テレビを見終えるまで気づかないときは、それはそれでいいのだが、もう老人と呼んでいい年代の見るからにそういうのが映っていると、汚らしくてみていられない。まわりのひとは気にならないのに、わたし一人だけが我慢できない嫌悪を感じる。
 表題で用いた「支那女」には、そういうニュアンスをこめている。「なぜ世界一のスパコンでなければいけないの?二位ではいけないのか?」には、日本人なら議論にならないコンセンサスが、この女には口で説明しないとわからないのかなぁ?の違和感と嫌悪の混じった感情が先走る。まったくおなじ感情は、外国人参政権や夫婦別姓でも浮かんでくる。さらには鳩山首相のママからの資金提供や、福島瑞穂と亀井静香のツーショットにも、おなじ種類の嫌悪感が先走る。いろいろと理由をつくっては説明するのだが、どうもそらぞらしい。論理的な議論の対立ではなくて、体臭に生理的な悪寒を感じる、生物的な異臭の感覚だ。小沢一郎には、さらにそれがはげしい。
 ここまできて気づくのだが、民主党という政党そのものに「支那女」の体臭がある。旧社会党出身者と自民党田中派の混血児だからまともな血統ではないのだが、どうも日本の政党ではない。何よりも、愛国心とか忠節とか、政治の根底にあるべきものを持っていない。鳩山首相から「この国は日本人だけのものではない」なんて発言を聞くと“やっぱり”という得心と同時に「支那女」の異臭が鼻を突く。

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