政官財が癒着した、金権汚職体質は、いつの世の中にも、どこの政治体制にもあるとはいえ、田中角栄が支配した自民党政権下のこの国では、格別ひどいものだった。土建屋さんはいうにおよばず、お医者さんや学校や大学の先生や野党政治家でさえも、その恩恵に潤った。その結果、いわゆる護送船団方式に慣れて競争力を失った業界は、国際競争に敗れて瀕死の境界をさまよう経験をした。日本の農業も例外ではなかった。補助金ジャブジャブの自民党農政の結果、食料自給率はカロリーベースで、とうとう40%をきってしまった。
今回の参院選の小沢民主圧勝は、ぬるま湯に慣れたゆで蛙に等しい地方の農業関係者が、さらに追い炊きの熱湯を望んだ選挙結果だし、農水相の相次ぐ不祥事辞任は、自民党内には、すねに古傷のゆで蛙しかいない現実をさらけ出している。この期におよんでもまだ、補助金ジャブジャブの金権汚職体質にもぐりこみたい政治家ばかりで、農水相に就任しながらすべり落ちた三人の自民党農水族議員も、そこをターゲットに集中攻撃している民主党も、その支持者も、国際競争に参加して、勝ち抜いていこうなんて希望も自信も実力もない“落ちこぼれ”が乞食根性をあらわにして、予算の強奪合戦を演じているにすぎない。
それはなにも農水大臣にかぎらない。政治資金でつまづいて話題にあがった政治家は、すべて、集め方が悪かったのか、使い方が悪かったのちがいだけで、実力本位の競争社会を生きぬくよりも、違法あるいは違法すれすれの抜け道を選んだ卑怯者たちだと思う。つまり、民主党の農業政策も、自民党の族議員も、競争社会で自由競争に参加して勝ち残れないで、まだこれからも税金に寄りかかって余生を過ごそうとしている無責任さ加減では、おなじ穴のむじな同士だと思う。
税金の集め方を不公平にしたり、それで予算をつくるときに横取りしたり、それに手を貸して裏金をうけとる悪事を、政治と誤解した人たちがこの国を動かしてきたわけだ。国鉄、郵政、道路公団、社会保険庁で起きたことは、全部これに当てはまる。そして、これにストップをかけて、地方にできることは地方に、民間にできることは民間に任せようというのが改革路線だった。小泉さんから継承した、安倍さんのこの改革路線に不満をもつ政治家が、民主・社民・共産の三党だけではなく、与党の自民党内にもすくなくない理由だ。かれらにとって、改革政策は、なんのために政治家になったのか、なんのために官僚になったのか、なんのために政治運動や市民運動に参加しているのか、人生の目的が否定される事態なんだろう。安倍政権を倒してしまいたい、第一のグループだ。
自民党は改憲政党である。結党以来の党綱領には改憲の目標が明記されている。問題は、平和憲法を廃棄して、どんな憲法につくるのかの話題だ。結局は、それは国家観や歴史認識の話題になる。おなじ改憲派でも、議論をそこまで深めると微妙なちがいが出てくる。自民党内のハト派と呼ばれる人たちの存在だ。けっして非武装でもなければ、中立でもない。軍隊も認めるし、自衛権も認める。しかし、近隣アジアの意向に逆らう政策には躊躇する。自前の国家観や歴史認識が欠落していて、近隣アジアのそれに引っ張られてしまうのか、敗戦ショックが生々しい傷口を広げているタイミングで、その傷口に東京裁判史観を刷り込まれてしまった後遺症なのか、かれらの昭和史に対するイメージは、資料が示す実態とは微妙にゆがんでいるのだ。
それはなにも、近隣アジアへの視線にかぎらない。アメリカやヨーロッパを見るときにも、たとえばイラク開戦時のブッシュの開戦理由だけに焦点をあてて、大量破壊兵器が見つからなかったから、小泉首相のブッシュ支持がまちがっていたとか、失敗だという。もちろん違法とまではいわないのだが、かれらの視野には大量破壊兵器だけがあって、フセインのクルド虐殺とか、クウェート侵攻が記憶細胞から消えているらしい。もっといえば、大量破壊兵器にしろ、人道犯罪にしろ、侵略戦争にしろ、第二次大戦のドイツのナチス犯罪なんだが、そしてそのとばっちりを受けて日本は東京裁判で犯罪国家のレッテルを貼られてしまったんだが、その記憶連想はここでは消えている。ヒットラーの犯罪は国際犯罪で、同類としての東条英機も犯罪者の認識はある。だったら、フセインも同類だろうの問いかけには、答えないのだ。近・現代史への視覚がゆがんでいる。
平和憲法の矛盾は口にするし、国連憲章の足らないところも理解している。しかし、応用問題として、現実に目の前で起きている国際問題への対応となると、とたんに空想的理想論に立ち戻ってしまうのだ。国際法の現実的運用なんて、脳裏に浮かぶことはないらしい。
困ったことに、世間一般には保守とか右翼と呼ばれている政治家のなかにも、こういう発想が時々出てくることで、たとえば中曽根首相の靖国参拝とか、石原都知事の昭和天皇の戦争責任に対する考え方なんかを見聞きしていると、かれらを保守とか右翼と呼べるものか、どうか、その矛盾に苦しむのだ。
中曽根首相や石原都知事はともかく、このようにして戦後レジームからの脱却を安倍首相がとなえても、素直にそれに追従できない政治勢力が、自民党や保守層にもすくなくないのは事実だと思う。
こうして、改革路線と国家観・歴史認識のふたつの基本政策に対して、野党だけではなく与党自民党内にも安倍首相に批判的な人々がすくなくなかった。表面的には、世論の右傾化傾向が指摘されていたから、正面きって、批判はできなくても、もやもやした雰囲気はあった。このまま突っ走られたんじゃぁ、たまらないという不満だな。いいかえると、安倍政権の継続を阻止しようとする政治勢力はふたつあって、かつての保革対立の構図のなかでの革新を形成した戦後民主主義と、保守と呼ばれて、自民党に属していた人たちのなかでも、戦後保守に属するひとたちの挟撃が根底にあったと思う。
当初、安倍首相は参院選の争点には、この改革続行と戦後レジームからの脱却の二点をあげて、それが達成されたあとの、あたらしい日本像を「美しい日本」と表現して選挙戦にのぞもうと考えた。同時並行的に、社保庁問題、政治資金問題、閣僚不祥事の“逆風三点セット”がおきたわけだが、国民の関心をこっちに釘づけにして、内閣の政策をないがしろにして、かすませてしまう逆風が起きた。争点はもっぱら逆風にあおられて、安倍首相の本来の政策はまったくといっていいほど報道には乗らなかった。
ちょっと冷静に考えてみれば、その逆風こそが、改革路線が狙い撃ちにしようとしている攻撃目標だ。安倍首相はそれを改革しようといっているわけで、反対勢力こそが逆風の原因者だし、利益供与を受けている当事者たちなんだが、テレビにしても新聞にしても、かれらもまたその便宜供与を受けて成り立っている業界だから、その基盤が崩されてしまう恐怖感は、あるのかもしれない。かろうじて、週刊誌が、うわべだけだが中立を保っている現実が、それを証明しているのかもしれない。いずれにしても全体像としては、ジャーナリズムもまた、戦後ジャーナリズムと呼んでもいいようなものに成り果てているのは事実だと思う。
つまりねえ、大東亜戦争に敗れて太平洋に沈没してしまった日本を、もう一度ひきあげて、外洋航海を走りたいという夢に対して、海底の沈没船が居心地のいい深海魚のような戦後保守や、東京裁判の判決と呼ぶ海底に突き刺さった錨のような戦後民主主義が、その夢を阻止したんだな。戦艦大和…北緯30度43分、東経128度04分、長崎県男女群島女島南方176キロ、水深345mの地点に沈没している。ひきあげる計画はまた、頓挫した。
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