「小泉首相の謝罪は成功か?失敗か?」について
中韓の反日暴動報道にさいして、日本の反応はふたつに分類されている。ひとつは従来どおりの叩頭謝罪。永久に無条件の反省と謝罪を続けようという日本人グループだ。もうひとつは、謝罪は終わったと主張するグループ。反省謝罪は、もちろん必要だが、永久に謝罪と反省だけをつづけていくわけにはいかない。国力に見合った国際的な活動の場所は確保するという主張だ。
放送メディアや活字メディアのほとんどは、このふたつの主張を対立させて構成されている。むしろ、この対立をうき立たせて、このふたつ以外の意見の存在を隠しているようにも見える。
しかし、問題の発端を見つめなおしてみると、このふたつ以外の意見…つまり、反省謝罪すべき理由が、はたして日本にはあるのか?という疑問から議論をはじめる日本人が、少数ながら生まれていると思う。とりわけ、ウェブの世界では、ほかのメディアとちがって、疑問が即時に提示されて議論を中断されてしまうので、この疑問を突きつけられると、ふたつの議論は中断してしまう。反省謝罪の理由を明示しないで、当然の前提としてスタートする主張は空中分解してしまうのだ。
この事実に、日本人は、すこしずつだが、気づきはじめている。政治とメディアは、この疑問に答えてはくれないが、こたえてくれないからこそ、日本人のフラストレーションは充満している。「何か変だぞ、政治も報道も嘘をついているぞ」という疑問が、もやもやとした雰囲気を醸成している。この国内の不安を近隣にぶつけてはいけない。日本人は、外交問題にする以前に、国内問題として、「日本の原罪」を再確認しておく必要がある。政治と言論と教育は、説明責任を果たすべきだろう。
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