歴史認識と国家観 ①

 “歴史”とは科学的に検証された歴史的事実とそれを踏まえて、そこから教訓や価値観をつむぎだす思想形成のふたつの作業が重なり合っていると思う。このふたつの側面は厳密に分離して考えて議論しないと、たとえ共通の政治思想の持主同士の会話であっても、結論部分はまったく異質なものになって齟齬をきたす結果になりかねない。
 そのうえで、この国の戦後を支配してきた“戦後民主主義”を批判的に検証しつつ、わたしの国家観…日本に対する思いを語ってみたい。まずは、はじめに現在の人類社会の基本的理念…グローバルスタンダードとしての近代民主主義の成立過程を考えてみたいのだが、それを生んだ欧米の市民革命を解剖するには、その前史としての宗教改革から話すのが順当だと思う。
 ヨーロッパの中世とはキリスト教と封建領主のふたつの権力に搾取・収奪された“暗黒の中世”だった。ふたつの支配権力に対する“解放運動”は、はじめに宗教をターゲットにしてはじまり、のちに王様や封建領主に対する市民革命が起きて西欧の近代社会は誕生した。これはヨーロッパ半島のキリスト教社会で起きた、その意味ではごく地域的にかぎられた地方での社会現象だったのだが、その後、当時、かれらが所有していた植民地に伝播して…その過程は大国同士の植民地争奪戦争や植民地の独立戦争を経て、いまのように「グローバルスタンダード」として全人類の規範として定着することになった。
 しかし、このとき注意してみなければいけないのは、この近代民主主義以前の暗黒の中世を支配していた封建領主たちの保有していた領地や領民の支配権…王権は誰によってよって保証された権力だったのかといえば、それは神様によって下されたもの…つまりこれが「王権神授説」だな。市民革命によってそれが覆って、政治権力は市民の手に移行したのだが、そのときその権力移転を正当化したのは、科学的な理論によってではなく「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」の「天賦人権説だった。
 封建時代の王権は「王権神授説」と呼ぶおとぎ話によって、近代の市民権は「天賦人権説」と呼ぶ童話によって、どちらも子供だましの作り話にすぎなかった事実を確認するところから、この話題をはじめたいとおもう。

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