仕分け作業は、だれが仕分けするのか?

支那女に仕分けられる祖国・日本」について
 現役で働いているときには、スポーツをする機会なんて、あまりなかった。リタイアして、はじめていろいろな施設やコーチのお世話になった。意外と身近に、施設も人材もそろっているんだなぁ、というのが最初の印象。ところが、学校や教育機関では施設はそろっているんだが指導者がいない。スポーツ指導ができる教員はかぎられているし、何よりもかれらには移動があって、腰をすえた指導をすると、教員としての将来を犠牲にする覚悟が求められる。地域には、それができる人材もいることだから、ボランティアで参加できるといいのだが、管理責任を負っている校長先生や教頭先生は、立場上それを敬遠している。いきおい予算と施設が無駄に朽ち果てている。
 仕分け人たちは、本当の意味での現場をみていないのではなかろうか。その意味ではお役人たちと仕分け人は本質的には共通している。天下りや組織運営が空費している無駄を洗い出すのなら、それはそれで意味があるのだが、見ているかぎりでは、現場いじめにしか見えなかった。スパコンも、ロケットも、オリンピック選手も、漢方薬も、ガソリンスタンドも…

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