平成維新断行かなぁ…

平成維新断行かなぁ…」について
 秋には司馬遼太郎の「坂の上の雲」がテレビドラマ化されて、放映されるらしい。西欧の近代に出会った日本は、ほかの有色人種が奴隷化されている現実に恐怖した。欧米の近代を吸収して、植民地列強の仲間入りして同化することによって、その運命に反抗した。いわば「追いつき、追い越せ」の国民運動なんだが、小説家はそのがさつな表現を「坂の上の雲」とあらためた。
 やがて日本は西欧に追いついて列強の仲間入りを果たすのだが、あの忌まわしい昭和前期の時代、国策を誤って、世界の平和を破壊する犯罪国家になってしまった。司馬は生涯、その時代を描くことができなかった。同世代人としての、贖罪意識がおおきかったと思う。もちろん、21世紀も10年を経験したいまでは、歴史も進歩して、その歴史認識は、かならずしも正統とはうつらなくなっている。司馬が生涯なやんだノモンハン事件についても、その実態を再構築せざるをえない資料が出はじめている。東京裁判にいたっては、もっと客観的な評価が、一般的になっている。政治に手足をしばられて、それが頓挫している近隣アジアへの侵略や戦争についても、いずれは、もっと科学的な検証がおこなわれる時代がくればいいと思う。
 そして、アメリカに占領統治されて、時代は戦後民主主義の時代をむかえる。司馬の歴史認識は、この統治政権の統治政策におおきく影響されたものだったとおもう。戦勝国の論理に洗脳された贖罪意識が、おおくの日本人の歴史認識をゆがめてきた。戦後左翼とか戦後平和主義と呼ばれるグループはもちろん、それとは対極の存在と考えられている、たとえば中曽根康弘とか、渡辺恒雄なども、なにかの拍子にもらしたホンネの部分で、この思想侵略の被害を露呈することがある。司馬遼太郎も、いわゆる左翼とはけっして呼ばれない人物だったが、洗脳の被害は受けていたのだとおもう。
 まして一般国民は、その被害をまぬがれない。国民は歴史や政治や外交への関心を薄くして、もっぱら経済発展にエネルギーを傾注した時代だった。ここでも国民的な標語は「追いつき、追い越せ」だった。そして、それは国民一人当たりGNPをトップクラスにしたことで、達成できた。

 記憶にあたらしいところで、わたしたちはふたつの「坂の上の雲」をつかみ、二度の挫折を味わったといえる。明治憲法下の文明開化は大東亜戦争で終わり、戦後経済成長は、いまのおおきな閉塞状況に迷い込んだ。いわばマラソンで、まえを走るランナーの背中を追いかけて力走し、二度トップに立つことができたのだが、前走者が消えるトップの立場にたった瞬間、自分だどっちをむいてはしったらいいのかの、目標としてのゴールを見失ってしまったという評論は、いままでもよく聞いた。
 あるいはしかし、最初のトップに立ったときは、人類最初の有色人種の列強国として、白人の優越を否定して人種差別の撤廃,基本的人権を非白人,非キリスト教徒にも与える、植民地解放の理念を確立できた。目標は設定できたのだが、途中で挫折してしまい、結果的に、負けた戦争の戦争目的や開戦理由は正当な評価を得られず、ねじ曲げられた説明がいまでもつづいているともいえる。
 だとしたら、目標ももたずに、トップに立ってしまったのは、今回が初めての経験だろうか。あるいは、経済的にはトップグループに入れたとしても、経済以外の分野では、そうとは言い切れない。依然として、その他大勢の一員かもしれない。いずれにしても、この国は国家理念とか、国家目標と呼ぶようなものを見失って、国民はおおきな閉塞感のなかに佇立彽徊(ちょりつていかい)している。
 ここまで、現状認識。

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Weblog: 赤い靴
Tracked: 2009-05-23 10:47