平成維新断行かなぁ…

平成維新断行かなぁ…」について
 思想や理念ではなく、行政組織としての戦後体制の欠陥は議論の時期をすぎている。国際社会や産業技術や国内社会の変化に、いまの行政組織が追いついていけない。中曽根政権や小泉政権といった、例外的な長期政権が専念してさえも、できた改革は国鉄、専売、道路公団、郵政など、かぎられた末端で、霞ヶ関や永田町の本体部分は、いまだにマッカーサーが引いた非占領政策のレールのうえを走りつづけている。惰性で走ってはいるが、この線路がどこに向かっているのか、目的地は完全に見失われている。
 システムとしての戦後民主主義は、理想的な民主主義のミニチュアモデルだったが、いささか〝ままごと遊びの道具〟のように、現実離れしていた。この戦後改革そのものがそうだったように、歴史上の社会の変革は、いつも暴力的に強制されて起きるもので、暴力を排して多数決原理でものごと決めようとする民主主義の制度そのもが、どこの国でも暴力革命によって誕生している。まったくの自己矛盾だな。
 戦後民主主義の自己改革では、不可能が明確になってきた、この閉塞状況の打開には、つまるところ、平成維新断行かなぁ…

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