真日本主義・文明と文化

 司馬遼太郎が、どこかで書いていて…どこに書いてあったのか、思い出せないのだが、文明と文化についてである。あるグループが共有する価値観で、それに出会った別のグループもとり込める汎用性をもった価値観が文明であり、隣のグループには受け入れられない閉鎖性をもった価値観が文化だ。日本文化は、その中心の部分に皇室の伝統があって、天地創造から支配政権の正当性まで、一段高いところに位置する皇室がそれを保証しているのだから、他国や他民族は、とうていこれを承服できない。日本文化は文化であって、日本文明にはなりえない、というような内容だったと思う。
 それにひきかえて、中華文明は、これはれっきとした文明だ。天命を帯びた皇帝が見渡すかぎりの大地の支配権をもっていて、恭順して柵封をうけた諸侯は朝貢する。恭順しない権力は、天命をうけたと称して革命をおこすか、その反対に討伐される。天下はひとつで、皇帝は一人だから、中華文明に出会った人物は、恭順か、革命を起こして皇帝とってかわるか、失敗して討伐されるかのみっつの運命しかなかった。
 魏志倭人伝に書かれているように、古代日本も朝貢して恭順していた。そこに、ふたつめの天下を発明したのは、聖徳太子だった。支那に皇帝がいるように、日本に天皇がいて、ともに天をいただいているという発想は、日本人の独自の発明で、支那人がうなずけるものではなかった。中華文明からの了解を得たものではなかったが、以来日本人は、その価値観のなかに安住してきた。
 それは、中華文明を否定するものではない。むしろ中華文明のもっている価値観は肯定して、取り入れて、支那人がもっている天下とおなじ種類のふたつめの天下が日本にもありますよ、というものだった。中華文明とは別の異文明が発生したのではなく、おなじ文明的価値観をもつ、相似形をコピーライトしたということだと思う。もちろん、矛盾している。矛盾を承服できない潔癖性は、日本人にはないのだ。
 ただし、ここで大事なことは、日本文明か日本文化か、などという定義づけの話題ではなく、となりにある大文明の価値観を受け入れて、その一員としてメンバーシップを保持しながら、その政治的支配を拒否して、それと対等のステイタスを築く民族性だ。天孫民族のプライドのようなものが、その根底に感じられる。国際社会の中心的価値観…現代語に訳せばグローバルスタンダードということだろうが、その価値観が強制する行動規範を尊重して服従しつつ、その根源となっている絶対的価値観…中華文明の場合には天帝思想には同調せずに、代用品としての皇室の伝統を守ろうとした。

 この歴史的経験が、近代史のなかで再現する。東アジアはアヘン戦争で近代に突入するのだが、中華文明にとってかわった西欧文明に対して、日本はおなじ対応をする。ここでもまた、司馬遼太郎の挿話を思い出すのだが、坂本竜馬の長剣を真似た書生に対して、竜馬が「これからは、これの時代ぜよ」といって拳銃を見せる。拳銃を手に入れた書生に対して、つぎに竜馬がおなじせりふで見せたのが万国公法だった。西欧の近代が日本に強制したのは国際法だったのだが、その根底に…中華文明の天帝思想とおなじように、その根底にあったのは、ギリシャ・ローマの伝統とキリスト教だった。
 不平等条約の改正に向けて外交努力を開始した日本をまちうけていたもっとも困難なハードルは、当時の国際関係がもっぱら西欧のキリスト教国を対象にしていて、異教徒のメンバーを想定していなかったことだった。聖書に手をおいて契約を誓う法的観念に、異教徒は参加しようがなかった。結局、日本は、自分自身が列強に…この場合、列強とは、朝鮮や台湾を領有する植民地列強なんだが、自分自身が植民地列強になることで、メンバーシップを獲得した。そしてその西欧の近代文明社会への参入劇のなかでもまた、その西欧の近代文明と呼ぶグローバルスタンダードが要求する行動規範を尊重して、遵守しつつ、その根源となっている絶対的価値観…西欧近代文明の場合にはギリシャ・ローマの伝統とキリスト教の教義には同調せずに、代用品としての皇室の伝統を守ろうとした。国家神道が誕生した理由だ。

 このように、この国の文化の特質は、外部から押し寄せるグローバルスタンダードを尊重し、それが要求する行動規範を遵守しながら、それが生まれる根拠としての根源的・絶対的な価値観の部分は〝皇室の伝統〟に置きかえて、代用している。それが、日本文化をローカルな民族文化に閉じ込めていて、グローバルスタンダードに成長するのを阻止している。
 国際社会のなかで、よき隣人としてのメンバーシップを希求しながら、その中心的な存在への挑戦権を、はなから放棄している。文明の中心的存在としては、最初からその資格を欠落させた民族文化を保有している。

この記事へのコメント

  • 出雲こまいぬ

     戦前の日本は天皇=国家(すなわち日本文明=日本政府)の混同にあったせいで、不安定な社会になり戦争で負けてしまった。
     それ以前は日本文明(国体)は日本政府(政体)とちがって、永続性があるという確信を天皇の神聖性や万世一系の性質に象徴させたものである。そのため日本の国体は様々な政体の変化を体験しながらも、高い安定性をもたらす結果となり欧米と違い革命を経ずして近代化を成し得た。しかも西洋的にいう宗教への依存性もきわめて低い国柄になった。
     「鉄は国家なり」ということが示すがごとく、日本全体には国家という唯一絶対のシステムしか存在しないような幻想に陥っているが、空間的広がりだけでなく時間的広がりも評価してその占有率を評価しないといけない。そうするとその占有率はごく一部でしかなく今の日本政府が日本文明であるとはいえないのである。
     そういった法治国家日本以外にも社会を形作っているものがあることを、特に歴史性において積極的に認める自覚がわれわれ日本人には必要だと思われる。
    2008年11月07日 20:52
  • 安来の語部

    これはかつて司馬遼太郎が言っていたように、鉄に原因がある。
    というより、石器時代と鉄器時代に挟まれた青銅器時代の狭さは
    中韓とくらべるとあまりにも際立っている。出雲で大量の銅剣、銅鐸
    が発掘されたこととも、関係がある。鉄器時代を到来させるため
    慌てて、埋納したようだ。
     青銅器は祭器で実用性が低くく、鋳造で作る。後に現れた鉄器は
    実用的で、鍛造と研磨で出来上がる。この青銅器時代の狭さによって
    磨製石器の技術が鉄器に活用され後の日本刀にまでたどり着く。
    考えても見たまえ、天皇の皇位の象徴であった三種の神器の鏡、玉、剣
    はすべて磨き上げた神宝だ。ようするに日本人の多神教世界における
    勤勉さ、精巧なものへの愛着、実用主義という特異性はまるでウェーバー
    のプロテスタント的な気質と一見符合するような状態を生み出したのだ。
    2009年02月20日 20:54

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