テロ対策特措法を歴史的に鑑賞すれば、

 石原都知事と福田首相の、税収再配分の合意のニュースは、まさしく老獪と老練の合意だと思う。政治はいつも原理原則や法律論にこだわるだけのものではない。ときとして取り引きもありうるというのだろう。政治にして、これだから、外交では、その傾向はさらに強い。
 第一次世界大戦のころ、日本とイギリスのあいだは日英同盟で結ばれていた。苦境のイギリスは日本陸軍の救援を求めていた。「日露戦争では、助けてあげたじゃぁないか」の思いもあったとおもう。結果的に日本は小規模の海軍の派遣で済ました。戦勝の結果で、イギリスの不満は表面化することはなかったが、同盟関係に対する不信は残った。これが、その後の同盟を4カ国条約におきかえて、イギリスが日本からアメリカに乗りかえ、さらには大東亜戦争につながる遠因ともいわれている。冒頭の首相と都知事の会談のように、同盟関係は条文の解釈ではなく、実質だ。双方の信頼関係が崩れれば、条文が債務履行を保障してくれるものではない。歴史の教訓だとおもう。
 「海上自衛隊が給油活動を中断して、インド洋から引き上げても戦況は変わらないじゃぁないか」の声は、一応もっとももらしく聞こえるが、外交の本質を理解していない愚論だ。日米両国民の日米同盟に対する信頼や、国際社会が日本の外交姿勢に寄せる信頼が、どう変化しているのかは、表面上の変化には、あらわれない。
 もうひとつ、数ヶ月前まで朝日新聞やNHKが大騒ぎをして報道していたイラクでの米兵の死傷者数の報道が、いつの間にか消えうせている。なにが起きているかのニュースと同時に、なにが起きていないのかのニュースにも気を配らないと、その変化はわからないのだとおもう。

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;拒否・決裂 
Excerpt: ☆ 決断できない総理は不用。
Weblog: 酔語酔吟 夢がたり
Tracked: 2007-12-21 07:27