「続々・コメントを拒否するブロガーたち」について
犯行声明もなければ政治的背景も報道されていないのだから、想像するしかないわけだが、加藤紘一宅の放火事件は政治テロの見方が強い。放火で代議士の口を封じようとする魂胆と、TBやコメント拒否で批判や反論を封じる行為は、同質だと思う。コメントを拒否するブロガーは、犯人を批判する資格がないのだろうと思う。
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歴史はつねに多面体である。かたよった歴史認識に侵されて、片側からスポットライトあてたり、偏光グラスでのぞいたような議論が好ましいとは思わない。つねに全体像を見すえたうえに、見えない裏側にまで想像力をはたらかせて、思いやった議論が望まれる。
それは、けっして局所的な話題をとりあげないという意味ではなく、たとえ局地的な話題でも、全体像を把握した、信頼できる歴史観・国家像を背景にもった議論したいということです。
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この記事へのコメント
とおりすがり
犯行声明はおろか、犯人の名前も未公開みたいですし。なぜなんでしょう。不明なことばかりです。
罵愚
ふたを開けてみれば、落剥した老人右翼が行き場を失って、暴力団まがいに落ちぶれていたなんて、情けない現実では、絵にならないのでしょう。
鳩摩羅什
罵愚
放火犯は、それほどのもくろみや背景がある人物とは思えない。煽っているのは、マスコミではないのだろうか。
若者の右傾化は、小泉参拝への肯定的評価で吹き出たかたちだが、支那や朝鮮への反発によるものだと思う。