北鮮のマスゲームを笑う資格があるのか?

 美女軍団のつくり笑いにはだまされても、一糸乱れぬあのマスゲームには寒気を感じる。部品にされてしまった、一人一人が、今夜、家庭に帰って夕食になにを食べて、家族となにを話すのかを想像する。寅さん映画のとらやの夕食風景とは、相当異質な風景が想像される。おそらく、このイメージに異論は出ないと思う。
 思想や表現や思考法が、制限されて統一されてしまった社会の恐怖は、しかし、ごくあたりまえの常識がはたらけば、一挙にくずれる。客観的に外側からながめれば、悲劇をとおりこして、喜劇に見える。いまどき餓死者の出る国で、マスゲームでもあるまい、という常識と客観的な感想だ。
 しかし、こうした客観的な常識も、他国のはなしだ。自国の、この日本の国の話ともなれば、笑ってもいられない状況が生まれる。たとえば、きょうのニュースのなかでひろえば「イラク新憲法で国民投票 開票始まる、承認の公算、テロ封じ、66%・...」という話題だ。ちょっと待てよ。きのうまでのニュースでは 「混迷するイラク情勢」「治安はさらに悪化」「米兵死傷多数」「不安定な暫定政府」「ねらわれる自衛隊」「撤退相次ぐ」等々、新聞やテレビで見るかぎり、イラクは完全にヴェトナム化していて、きょうにでもテト攻勢がはじまりそうな雰囲気だった。
 暫定国民議会選挙のときも、きのうの新憲法投票でも、結果から見れば、報道はまったくの嘘だった。あのニュースを信じていた日本人は、マスゲームを踊っていた北鮮人民と、どこもちがってはいなかったのだ。昨日までのニュースと、今朝のニュースを並べてみれば、どちらかが嘘で、だまされていた自分に気づくはずなのに、だましたほうも、だまされたほうも、だれ一人文句がでない国って、北鮮とおなじじゃぁないのか?
 カトリーナを横目に、夏休みを最終まで消費したブッシュの行状に激怒して、兵士も予算もイラクで浪費した結果、充分な災害対策ができないと騒いだのは、アメリカの市民だけではない。日本の平和運動家たちの声も聞こえてきたと記憶する。もちろん、報道したのは新聞とテレビだ。
 おなじように、紛争に国力を使い果たしているパキスタン地震のニュース記事のなかには、印パ戦争の影響で社会インフラの整備が遅れているなんて解説は、どこにも書いていない。このアンバランスを指摘する声さえ聞こえない。アメリカの戦費とパキスタンの戦費は、あきらかに別の種類の基準で評価されているらしい。アメリカの被災者はイラクの戦費と比較され、パキスタンの被災者は支援の遅滞と比較される。
 メデイアが描いたイメージだけで地球を理解しつくしたような気分を味わっている。ちょっとした想像力があれば、疑問と、その裏側や、現実の姿が浮かんでくるのに、能力もなければ努力もしない。怠惰な日本人だ。北鮮を笑う資格があるのだろうか?

この記事へのコメント


この記事へのトラックバック