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zoom RSS 家族のような国家、家庭のような社会、

<<   作成日時 : 2016/01/03 06:10   >>

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 格差問題といい、福祉政策といっても、根源は弱者の救済だろう。落ちこぼれた社会的敗者をどうして救いあげるのか、それはだれの責任なのかの解答は究極的はふたつの政治体制に収斂されて、ふたつは相互に反発しあい、攻撃しあう。
 つまり社会主義と自由主義の冷戦構造は、国際政治のなかでは軍事的、経済的に決着がついているのだが、弱者救済の手法のほうは未解決のまま人類的課題として残されたままなのだ。落ちこぼれを本人の個人的責任と断じて放置する個人主義は非人道的な貧困と格差を生み、反対に、社会的責任として政治と行政が富の再配分を強行すれば、それをどの程度の格差までを許容するかの議論がはじまり、強制権を持つ官憲が特権をふるい、不正が横行する。個人主義も社会主義も弱者救済の切り札にはなれないというのが東西冷戦の結論なんだな。
 失敗の原因は社会と個人と呼ぶ二極構造でしか考えられない単細胞的思考法だ。個人と呼ぶ究極的アトムと、それを取り巻く社会…こちらのほうは小さなコミュニティから地方公共団体、主権国家、人類社会までとりそろえながら、それぞれの特徴やちがいを検討せずに、個人との対立概念としてしかとらえずに、抽象的に語られてきた。個人と呼ぶ現実と社会と呼ぶ抽象概念の二極構造では、弱者救済策は求められなかったのだ。それが現実的な結論であり、中間的な結論だ。
 そこで日本人なら、この国の建国の精神を思い出すべきだと思う。初代天皇の神武天皇が建国の理想としたのは“家族のような国家”だった。個人と国家のあいだに家庭をおいたイメージで、個人の努力と国家の救済ともうひとつ、家族の支えあいの三本柱で考えれば。あたらしい解決策にたどりつけるように思う。

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