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zoom RSS 「神武不殺」とか「八紘一宇」の言葉は、したがって、支那からの輸入品だった。

<<   作成日時 : 2015/04/21 15:26   >>

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日本の神武、支那の徳治、欧米のシビリアンコントロール」について

 「神武不殺」とか「八紘一宇」の言葉は、したがって、支那からの輸入品だった。輸入品の名詞を、それまで日本人が内心で保有していた精神に取りつけたから、支那でほんらい使われていた概念とは若干の齟齬が生じている。孔子が言った「神武不殺」とは、正義の軍隊は人殺しはしないという意味だったのが、日本の皇軍は不義の戦争はしない、天皇に刃向かうものは自動的に賊だという意味になっている。
 「八紘一宇」も支那では辺境の蛮族も家族のように遇するの意味だが、日本ではその辺境の蛮族を意識していなかったから、家庭のような国をつくりたいという願望に変化している。支那の“八紘”が国際社会を指してるのに、日本のそれは日本列島なんだな。大正時代になって、思い出したように国際社会に衣替えをして使って、失敗している。
 ひとえにこれは、易姓革命や隣国からの侵略による亡国の経験がなかったことに起因している。そして、これこそがこの国の、他国には見られない特徴だ。

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どうもわたしたちは他国のひとたちと感覚がちがう。言葉が通じあえない。
「「神武不殺」とか「八紘一宇」の言葉は、したがって、支那からの輸入品だった。」について  日本人がイメージする“神武不殺”と支那人のそれとは、ちがうと、そのちがいに気づいたのが国学者たちだった。道教や儒教や仏教をうけいれて、共感し、受けいれてきたが、それをうけいれる素養の部分には、すでに確立した日本民族の民族性があった。その根幹部分を比較してみると、日本人は支那人や朝鮮人とは異質だという事実に気づいた。  まったくおなじ経験を、国史は近代をむかえるところで再体験する。西欧の主権国家、... ...続きを見る
罵愚と話そう「日本からの発言」
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