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zoom RSS 人類史は戦争と革命の歴史だ。

<<   作成日時 : 2015/03/10 16:50   >>

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日本の神武、支那の徳治、欧米のシビリアンコントロール」について

 運動部の部室や体育館に「文武両道」なんて額がかかげてある。野球やサッカーは武道ではない。あれはゲームだといいたくなるが「健全なる精神は健全なる身体に宿る」なんてのもある。それが個人の身体・精神から離れて国家の規模になると、これがシビリアンコントロールや徳治主義になるのだろう。
 国家には警察や軍隊のような武力が必要だ。平和念仏を唱えていれば永久平和だなんてのは売国サヨクだけだ。こいつは隣国の陰謀の手先だから、ここでの話題の対象にはならない。常識的には、どこでも国家に忠誠を誓った武力集団が必要なんだが、この武力集団こそが国家転覆を主導する。
 つまり両刃の剣なんだな。護身刀が暗殺刀に変身する。じっさい支那でもヨーロッパでも、むかしもいまも統治者はそれまでの統治者を武力で倒して権力を掌握した経歴の持ち主だ。例外はない。革命だな。
 自分とおなじ経歴を歩む者の出現におびえる宿命だ。そこで武力に忠義や徳性を要求する。武人であるまえに徳人であることを要求する。あるいは武官に対して文官の優先を宣言する。それが歴史でもある。人類史は戦争と革命の歴史だ。

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