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zoom RSS 三原じゅん子の八紘一宇への拒否感、嫌悪感の原因

<<   作成日時 : 2015/03/21 05:48   >>

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三原じゅん子の「八紘一宇」が飛び出したのは偶然だった」について

 かつて日本人の価値観をおおっていた道教・儒教・仏教の影響をとりはらったときに、そのなかから“やまと心”がでてきたように、いまの日本をおおっているのは西欧の近代主義だ。グローバルスタンダードと呼んでもいい。それは幕末、明治維新からはじまり、敗戦を経て、現在につながっている。日本はかつて道教・儒教・仏教をうやまったように、近代西欧文明を大切にしてきた。そのくびきのなかでがんじがらめにされて、からめ捕られてしまったのが大東亜戦争の敗戦だった。
 非西欧の有色人種国家に国際社会を支配させないための、いろいろな仕組みが用意されていたりして、どうしても非キリスト教国や有色人種は列強になれない。ひとつの試みが戦争直前の“近代の超克論争”だった。戦間期の日本には、ほかにもたくさんの挑戦があったのだが、その記憶さえも戦後の日本人に記憶細胞から消去されてしまっている。三原じゅん子の八紘一宇への拒否感、嫌悪感の原因だな。
 かつての道教・儒教・仏教とおなじように、現代のグローバルスタンダードにしばられて、その枠組みを突き破ったアイデアには議論する以前の拒否感、違和感が噴出して、議論にならない。

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『近代の超克論争』
「三原じゅん子の八紘一宇への拒否感、嫌悪感の原因」について  支那や朝鮮の徳・恕・仁の哲学に心酔した日本人は、やがてその理念が支那人や朝鮮人にうすいのに気づく。むしろ日本人社会のほうが為政者にも庶民にも、それが備わっている。だからこそ、神様が王朝転覆を命令する易姓革命なんて起きないし、必要もない。理想的な社会は、むしろ日本だ。日本を研究したほうが、むしろ理想への近道だと気づいたのが国学だった。  まったくおなじことに、日本人は気づきはじめている。西欧の近代は、キリスト教の矛盾をあばく... ...続きを見る
罵愚と話そう「日本からの発言」
2015/03/21 06:31

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