“戦後民主主義”を東京裁判にかけよう、
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作成日時 : 2011/09/17 05:37
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「“戦後民主主義”を東京裁判にかけよう、」について
つまり日本人は西欧の近代を模倣して日本の近代を築いてきたと誤解しているが、この国には西欧のそれを超越した近代が太古から根付いていたのだ。それは、むかし支那から儒教や道教が入ってきたとき、あたらしい文明として日本人はそれをうけいれた。中華文明の道徳理念は、それまでの日本にはなかった、あたらしい価値観だと誤解した。支那人は学問してその理念を身につける。身につけた支那人はエリートコースをあゆむ。エリートを選別する科挙の制度だ。
しかし、支那人が教育されておぼえる信義や忠孝の倫理をあらためて教えられなくても、無意識のうちに日本人は身につけているので、支那の学問は無駄だと考える日本人があらわれた。日本人は昔話を聞いたり、歌ったり踊ったりする市民生活のなかで庶民でも倫理観を身につけるから、あらためて公衆道徳なんてものは勉強する必要はない。じっさいに、科挙の制度は日本にとりいれられてはいない。国学の誕生だな。
まったくおなじ歴史のくりかえしが日本の近代だった。西欧の近代をトレスしようと、無駄な努力をした。西欧には「オリエンテーリングに参加したプレイヤーのように、ある一定のコースをたどりながら文明は進歩する。人類の文明は一定のコースを競技しながら走っている。ポイントのひとつにキリスト教があって、そのポイント以前が非文明で、その後半が文明社会だ」という進歩主義史観と呼ぶ観念があって、人類のすべての社会にそれをあてはめた。自分自身の西欧の近代をトップランナーだと自認し、文字をもたない民族や異教徒の奴隷化を正当化する理由につかった。さらにこれが過激化して、キリスト教以後の社会を妄想して、進歩の果てを空想したのが共産主義で、その妄想の実験国家が旧ソ連を中心に東欧や支那大陸に乱立した。コミュニズムは進歩主義のもっとも先鋭化したゆえの被害者で、他国ではその実験の失敗からみすてられて消えたのだが、この日本でだけは、なぜかいまでも生き残って実物を観察できるから説明する必要もなかろう。
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“戦後民主主義”を東京裁判にかけよう、
「“戦後民主主義”を東京裁判にかけよう、」について
人類は、ある一定の決まったコースのうえに乗って進歩する。はやく進歩する民族と、遅れてやってくる民族がある。先進民族が未開民族を支配するのは当然である。あるいは先進民族は未開民族を助けてやらなければいけない。どちらもキリスト教徒がつくった国際倫理だ。かれらはさらにそのうえに、かれらの優位はエホバの神のおぼしめしだと考えた。いいかえると進歩の途中にキリスト教への改宗があり、土着の邪教にまどわされた非キリスト教徒は永久に先進民族にはなれな...
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罵愚と話そう「日本からの発言」 2011/09/17 06:05 |