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大阪地検特捜部の暴走ってさぁ、いかにも地方のちっちゃな建物の密室でおきた特別な事件のようなイメージなんだが、司法が試験に合格した特殊な人種しか出入りできない密室でおこなわれていることから起きた、ありふれた事件なのかもしれない。つまり、地検特捜部と呼ぶ、なにやら秘密めいた密室の事件というよりは、日本の司法そのものが密室になっているから起きた、ありふれた事件ではないのか? あかるいニュースから話しはじめたいのだが、裁判員制度がはじまって、当初懸念されていた事態は起こらず、市民レベルの良識が判決に反映されて、多方面から祝福されている。うらがえせば、いままでは専門バカによる非常識がまかりとおっていたということだろう。 おなじように小沢一郎の事件の検察審査会による強制起訴のケースでは、抜け穴だらけの政治資金規正法をつかって、いくら検察が努力したところで、市民感覚とはほど遠い追求しかできない。政治家をつかまえる法律を国会で政治家がつくっているのだから、いわばドロボーが窃盗を取り締まる法律をつくっているようなもので、まともな法律ができるはずがない。金権政治にしろ一票の格差の問題にしろ、所与の法律のワクのなかでしか判断できない専門バカの手にはあまる。市民的な常識の出番なのだろう。 このように検察にかぎらず、司法全体が非常識の巣窟になっているのだが、そのもっともおおきな原因は…言うまでもなく法律や裁判のなかに市民感覚が注入されないことなんだが、さらにその原因は、というと、最高裁判事の選任のシステムにあるんだろうと思う。国政選挙のたびに最高裁判事を承認するマルペケ投票するのに、あの名前だけ見てどんな人物だった思い出す有権者は皆無に近い。該当する裁判官が、どんな判決を出したかなんて、新聞でも報道されることはまれだから、一般市民が覚えているはずがない。いきおい白紙のまま投票するとそれは信任投票とみなされる。 政治家は所属政党や個人名を覚えられて選ばれるが、裁判官は民意がとどかないシステムによって選ばれている。判決や捜査の結果に不満や疑問が出ることはあっても、最終判断をくだした最高裁判事の適・不適に影響したことはない。べつに国民が裁判官の顔や名前をおぼえる必要はないが、司法への信頼とは、究極のところその判決が国民感情に合致しているかどうか、常識や良識とかけ離れた判決が出ていないか、どうかにつきるのだが、それには裁判員制度や検察審査会が健全に機能している事実が示すように、司法制度のなかに市民感覚を注入すること…しかもそれらが末端で機能するだけではなく、頂点の最高裁判決や最高裁人事に適用されることが必要なんだろうと思う。 地方議員や代議士が白熱した選挙戦で選ばれるように、最高裁判事も選挙カーに乗ってその信条を国民に訴えて選出される必要がある。 |
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「日本列島深層崩壊 ・ 特捜の暴走、金権腐敗の放置」について
「日本列島深層崩壊 ・ 特捜の暴走、金権腐敗の放置」について >最高裁判事も選挙カーに乗ってその信条を国民に訴えて選出される必要がある。 {%犬webry%}同感の至り。敢えて言及するとすれば、憲法改正を踏まえた、 民族の生存を優先する、独立・憲法の成立が不可欠でしょう。 犯罪の軽重・種別・その他、基本的に庶民の納得出来るシステムが不可欠でしょう。 ...続きを見る |
*自由の翼*ITUKYUU 2010/10/03 18:18 |
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